このクルーズを選んだ理由
2002年当時、海外赴任中で長期の慰労休暇が貰える制度があり、日本に帰任したらなかなか体験出来ない旅行をしようと思い、子供の頃から夢を温めていたクルーズに行く事を計画。日本から取り寄せた雑誌「クルーズ」を見ていてエーゲ海の美しい海と真っ青な空の色に一目惚れして決めた。コスタにしたのは寄港地と料金が概ね条件に入っていたから。

mr. 682zx さんの1回目の乗船記
2019年7月18日 投稿
2002年4月29日
家族
内側
総合評価
食事
サービス
客室
船内施設
この航程マップはイメージです。実際の航路や寄港順は変更となる場合があります。
ヴェネツィア
Venice
バーリ
Bari
ザキントス島
Zakynthos Island
サントリーニ島
Santorini Island
ミコノス島
Mykonos Island
ロドス島
Rhodes Island
ドゥブロヴニク
Dubrovnik
ヴェネツィア
Venice
寄港地
イタリア
—
寄港地
イタリア
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寄港地
ギリシャ
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寄港地
ギリシャ
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2002年当時、海外赴任中で長期の慰労休暇が貰える制度があり、日本に帰任したらなかなか体験出来ない旅行をしようと思い、子供の頃から夢を温めていたクルーズに行く事を計画。日本から取り寄せた雑誌「クルーズ」を見ていてエーゲ海の美しい海と真っ青な空の色に一目惚れして決めた。コスタにしたのは寄港地と料金が概ね条件に入っていたから。
初めてのクルーズ、且つその後の経験の中で唯一のイタリア船だった事もあり他との比較は難しいが、十分美味しく頂けた。乗船前後にベニスやローマ・フィレンツェと旅行したがそこでの食事と比較しても十分美味しかった。最終日前夜の夕食では見よう見まね?で一生懸命作ったっぽい味噌汁も出してもらい、絶対的な味とは関係なくあたたかいもてなしの気持ちを感じる事が出来た。
イタリア船らしくみな陽気で明るかったが、しっかり優しくサービスしてくれた。
子供二人を連れての旅だったので4人部屋の確保が必要で、予算の関係もありインサイドの部屋だったが、居住性には問題なかった。
カジュアル船と分類される船ではあったが、乗船2日目のガラ・ディナーでは一人づつキャプテンから握手と挨拶を受けた。結局その後2回のクルーズではメインシアターでの「みんなまとめて挨拶」に簡略化されてしまい、唯一の貴重な体験となった。
イタリア
前日、ヴェネツィアの陸側の隣町であるメストレと言う町に前泊、朝タクシーでヴェネツィアに渡り駅前の有料手荷物預かり所に荷物を預けた後は徒歩や水上バスで島内を散策。その後駅前から再びクルーズターミナルまでタクシーで移動。クルーズターミナルまではタクシーで5分~10分程だったと記憶している。
イタリア
ギリシャ
ギリシャ
言わずと知れた有名観光地。テンダーで上陸しゴンドラで島の上の白い建物が並ぶ街へ。エクスカーションではゴンドラ前でのテンダーの上陸よりも前、朝早めに別の場所でテンダーで上陸してバスで島の中心部から外れたところを廻るツアーもあったが参加せず。
ギリシャ
街から少し離れた岸壁に接岸、シャトルバスで島の中心部へ。海に向かって風車が並ぶ景色が有名な島。中心部は真っ白な壁の家がびっしりと並びまるで迷路のよう。海沿いに海鮮料理を出すレストランが並んでいる。
ギリシャ
初めてバスに乗ってリンドスのアクロポリスに向かうエクスカーションに参加。周囲の風景はいかにもギリシャと言った感じの乾燥した大地が続く。アクロポリスから見下ろしたエーゲ海の青さは今でも忘れられない美しさ。
クロアチア
今では町はずれに桟橋がある様だが当時はテンダーでの上陸だった。よって入口も城塞都市の港部分からの上陸。当時はまだクロアチア紛争から10年も経っていない時で紛争当時の生々しい街の写真が展示されていた。街を取り囲む城壁への入場料金はユーロでなく、現地通貨のクーナだったが窓口で交渉したらユーロで払わせてもらえた。
クルーズプラネットで手配。当時海外赴任していて海外からネット等で手配が進められるとの事だったのでそこに決めた。バゲージタグやバウチャー等、必要書類も全て日本から赴任地に送ってもらった。
コスタクラシカはすでにコスタクルーズのフリートから外れているが、今回のコースはエーゲ海クルーズの王道コースであり、誰にでも薦められる。
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