寄港地体験/ピスコピスコからはナズカの地上絵を見るツアーを事前にアレンジしておりました。ピスコ空港から直接地上絵を見て、そのままフライトでピスコ空港に帰るツアーで、時間を有効に使うつもりでしたが、なんと、ピスコ空港ではなくナズカ空港まで車で行くことに成り4時間30分かけて到着。そこから地上絵上空を飛び、そのままフライトでピスコに戻りました。下船後いきなり話が異なることで面食らいましたが、キャンセルするぐらいなら自動車で行くと腹を括りました。片道ですが、4時間半を運転手を入れて、KIAの小型車に5名詰め込んで行く羽目になるとは予想外でした。$370のツアーを$100リファンドすると言っていますが、未だ戻っては来ておりません。ピスコ空港からナズカを目指される方要注意です。
地上絵は、「なるほどね。」と言う感じで、「凄い」と言う感動もないですが、「大したことない」ということにも成りません。「成る程これが有名な地上絵か。確かにな。」という印象を受けました。それに加えて辛い道中でしたが、逆に砂漠を間近に見ることが出来て、そちらの印象的でした。
寄港地体験/ピスコナスカの地上絵を見に行くツアーに参加。
港からピスコの空港まで車で連れて行ってくれてピスコからナスカまで飛行機で、3〜4時間のツアーのはずが、ピスコからナスカまで4時間、車で行って、ナスカからセスナで地上絵を見た後そのままピスコまで戻る、というものでした。
乗船時にパスポートを船に預けますが、飛行機に乗るのでパスポートを持っていく必要があります。一緒にツアーに参加したふたりは、前日にゲストリレーションでパスポートを受け取れたらしいのですが、私達は前日に「翌朝の8時半以降でないとパスポートは渡せない」と言われ、実際そうなった為、前日に受け取った2人を待たせてしまう事になりました。
ゲストリレーションにリクエストしたのが遅すぎたのかな、とも思いました。
ナスカまでの道は片側1車線で、ドライバーは慎重派だし、そもそも飛行機ですっと行くはずが4時間も、しかも5人乗りのセダンの車でのドライブで、一緒に行ったふたりも憤慨していましたが、砂漠の中のドライブで、途中に集落があったり、山を削ってできたトンネルがあったりと、珍しい光景をたくさん見る事ができました。セスナからはしっかり地上絵も見る事ができましたし、空から眺めるドライブして来た砂漠の山々、砂漠の中にできた一本道等もとても興味深いものでした。
とは言え、ツアー会社にはキャッシュバックを要求し、応じてもらえました。
ピスコの空港からは船のシャトルバスの着く、パラカスという地元民で賑わうビーチで降ろしてもらい、スーパーやビーチに立ち並ぶお土産屋さんで買い物をしました。最後欲しかった物が現地通貨が足りずに買えず。港に来ていたお土産屋さんで探そうと港に戻ると、お土産屋さんは早々にかたづけはじめていました。それでも欲しい物を伝えると仕舞った中から出してくれて、現地通貨で足りない分をドルで足して購入できました。
現地通貨があれば、ビーチのお店で買った方が安いです。
ナスカの地上絵を見るツアーのセスナは揺れが強いので酔い止めの薬を飲むように、あちこちで案内されていたので私も飲みましたが、ある程度の船に乗れる人なら必要ないと思いました。酔わないように写真を撮ったりは殆どしないようにしました。
それより薬のせいかウトウトしてしまう事もあり、地上絵はしっかり見ましたが、絶景が続くのに、少しでも目を閉じてしまったのはもったいなかったと思いました。心配で酔い止め薬を飲むなら、眠くならないタイプをおすすめします。
寄港地体験/ピスコピスコの蒸留所にタクシーをチャーターしていますが行ったが、船のエクスカーションと同じだった。
寄港地体験/ピスコ寄港地観光
Tambo Colorado:8:30am-13:00;$100;【選定の理由】インカ文明とは何か概要を理解するため選びました。
寄港地観光の詳細、アクティビティ
【イクスカーション内容】タンボ コロラードまでバスに乗車し片道1時間20分、タンボ コロラードに到着後、強い日差しの中、ガイドさんから遺跡を案内してもらいました。
【感想】港からタンボ コロラードまでは砂漠の風景が続き、まるで中近東の国のようです。税として徴収した豊かな物資を納める倉庫・行政センター・宗教施設がタンボ(宿駅)としてインカ道の要所に置かれたようです。この遺跡は15世紀の終わりに建てられたようで中心広場のまわりには、屋根のない日干し煉瓦の建物が150メートルに亘って延びています。日干し煉瓦の壁面にはところどころインカ時代の赤と黄色の彩りが残っていました。ガイドさんから倉庫・見張りの塔など各部屋について説明がありましたが、その部屋の片隅に埋められていた遺体の様子を分析し、そこでは何が行われていたのかなど論理的な語り口は興味深かったです。遺跡の部屋の遺構から中央広場に戻った時、涼しく心地よい風が吹いていました。ガイドさんの説明では、この涼しい立地条件からここをタンボにしたのではないかということです。