
匿名ユーザー
2020年3月17日22日間 / 21 days, one-way from Civitavecchia to Dubai
(第1日目)Nazareth and The Sea of Galilee (11:40am -20:00 x $169 x Level 2) 【ナザレ観光の意義】キリスト教徒にとってイスラエルの「ナザレ」は、イエスが幼い時から伝道活動を始める迄過ごした重要な場所だと言われており、キリスト教徒の巡礼地としても有名です。 【選定理由】ナザレを訪れることができるため選びました(イクスカーション候補7件の中から選択)。 【イクスカーション概要】ハイファからナザレに向かい受胎告知教会と聖マリアの洞窟を見学しました。ガリラヤ湖の2教会と洗礼ポイントのヤルデニットを訪れました。港に戻る途中、カラメル山頂からハイファの夜景を眺めました。 寄港地観光の詳細、アクティビティ 【ハイファからナザレまで】ギャングウェイの準備が整わず、かつ一部の乗客が遅れてきた為1時間出発が遅れました。ナザレまでは大型バス(コーチ)で約50分間の移動でした。車窓の景色では畑の緑が目に鮮やかでした。 【受胎告知教会・聖マリアの洞窟】受胎告知教会は実に大きな教会で、約50分間ガイド・マイケルさんの説明を受けました。教会の地下には聖マリアが受胎告知された洞窟跡があり受胎告知の祭壇がありました。地上階には色々な国から送られた聖母子の絵が飾られていて、長谷川画伯の「着物を着たマリア様とイエス」の日本画が特に目を引きました。 【昼食】昼食はきれいなお庭のあるリゾート施設のレストランでビュッフェを頂きました。スケジュールが遅れて昼食開始は2:20pmとなりました。マイケルさんはレストランに頻繁に電話をかけレストラン内の場所を確保して下さいました。 【山上の垂訓教会】この教会への到着前、マイケルさんから「イエス様が祝福しなかったのはどういう人達か?」というクイズが出されました。この教会の前でマイケルさんが新約聖書の参考個所を指示し、シニアの白人女性と中年の黒人女性が朗読をしました。白人女性は感極まって涙声となり途中から朗読できなくなったことは、私達にとって感慨深い思い出となりました(20分間の訪問)。 【パンと魚の奇跡の教会】この教会は4世紀頃にはその原型があったようで教会内には簡素な燭台と祭壇が置かれていました。この床にはパンと魚のモザイクが飾られていました (15分間の訪問)。 【ガリラヤ湖畔】日没前の夕暮れ時のガリラヤ湖は美しかったです。洗礼ポイントのヤルデニットが閉まる寸前ということで約40分間の道のりをバスは急ぎました。 【洗礼ポイントのヤルデニット】ヨルダン川西岸には階段状となったテラスがあり、水際にはフェンスに囲まれた洗礼場がいくつか並んでいました。残念ながら到着は5:20pm頃と夕闇が迫り、洗礼を受けている人の姿は見られませんでした。ここには大きな土産物屋があり、ここで買い物をする参加者は多かったです。 【帰路とカルメル山夜景】港には2時間半をかけて8pm頃到着しました。ハイファ港を見下ろすカラメル山に立ち寄り、美しい夜景を撮影するために途中下車しました。なおカルメル山は昼も美しく聖書の中でしばしば語られ、神の祝福の象徴として用いられています。 【思いがけない出会い】このイクスカーションがイスラエル訪問の第一歩となりました。ガイドのマイケルさんの説明は分かり安かったです。以前農業国であったイスラエルはITが主要産業となったこと、日本も含め海外に伝えられているパレスチナ関連のニュースはフェイク・ニュースが多いことなど興味深かったです。マイケルさんの人生経験としては軍隊での体験が最も役立ったということ、何と息子には日本の柔道を習わせている事など、敵に囲まれた国の人の発言である事を痛切に感じました。 ハイファ、イスラエル (第2日目)A Day in Jerusalem & Bethlehem (6:50am -19:15 x $199 x Level 3) 【エルサレム・ベツレヘム観光の意義】最大都市エルサレムは、イスラム教とユダヤ教、キリスト教の3つの宗教の聖地になっている地域です。またベツレヘムはイエス・キリストが生まれた街として知られています。 【選定理由】エルサレムとベツレヘムを訪れることができるこのツアーを選びました(イクスカーション候補16件の中から選択)。 【イクスカーション概要】エルサレムにはコーチで向かいました。オリーブ山にて写真休憩、そこからゲッセマネの園まで移動し、万国民の教会を見学しました。ヤッファ門から旧市街に入り、嘆きの壁を訪問、苦難の道(ヴィア・ドロローサ)から聖墳墓教会まで歩きヤッファ門を出ました。現地ホテルで昼食を取った後、アメリカ大使館を見た後、ベツレヘムに向い、メンジャー広場と聖誕教会を訪れました。 寄港地観光の詳細、アクティビティ 【エルサレムまでの移動】このイクスカーションにはクルーズ乗船客340人が参加、トイレ付き大型バス(コーチ)9台で向かいました。パレスチナ地区を隔てる壁と監視塔・チェックポイントを車上から見ることができ、イスラエルの現実が把握できたように思います。エルサレムまでは2時間40分ほど、途中エルビスプレスリーをランドマークとしたドライブインで40分ほどトイレ休憩しました。 【オリーブ山にて】オリーブ山の見晴らし台には20分間おり、エルサレムの街が一望できました。石壁に長く囲まれている寺院街、中でも金色に光る岩のドームが目立ちました。オリーブ山の近くに広がるアラブ人街など、よく見るとその特徴がわかるような気がしました。なお見晴らし台の近くは今でも遺跡の発掘が行われており、エルサレムの古くて長い歴史を感じました。 【ゲッセマネの園・万国民の教会】オリーブ山からゲッセマネの園まで歩いて下りたグループもいたようですがコーチで移動しました。ゲッセマネの園はイエス様が捕らえられる前に最後の苦悶の祈りをしたところです。ここには数百年前に植えられたオリーブが林となっておりますが、お庭は整えられ現代的な感じがしました。隣接する万国民の教会の外観は美しく、裏切りを起こすユダにキスをしているイエス様の壁画が印象的でした(15分間訪問)。近くの谷間にあった古いお墓が密集している光景は異様な感じでした。 【嘆きの壁へ】ヤッファ門から旧市街に入り、X線設備の有る厳重なチェックポイント(写真撮影不可)を通過し広場に出ました。ここから嘆きの壁まで男女別々に通路が続いていました。男性は無料で白い被り物を貸して頂けるようです。軍服を着た若い男女のグループが多数おり、女性グループに写真に加わってもらえませんか?と頼むと笑顔でOK,まだあどけない顔の下に機関銃を持っていてビックリ‼︎(15分程度)。 【ヴィア・ドロローサと聖墳墓教会】土産物屋が並ぶ狭い路地を進み、苦難の道(ヴィア・ドロローサ)の目印である5番目ステージの教会に着きました。ヴィア・ドロローサはイエス様が十字架を担いで処刑の場のゴルゴダの丘まで歩いたと信じられているルートです。この道に沿ってイエス様にまつわる出来事を記念した14のステージが設けられていました。凄い数の観光客で狭い路地は溢れていました。さらに続く細い石段をステージ番号順に登って行きゴルゴダの丘でもある13番目の聖墳墓教会に着きました。ここはカソリック・正教会等6大宗派が共同管理していました。私達はカソリック教会から入りましたが天井・壁は金箔の壁画で覆われていて素晴らしかったです。イエス様が十字架から降ろされ横たわれた石板が置かれ、熱心な信者たちがキスや祈りを捧げていました。教会からは延々と続く土産物店の路地を進みヤッファ門から出ました(旧市街には2時間30分ほどの滞在) 【昼食からベツレヘムへ】旧市街からバスで5分と近い昼食レストランに向かい50分ほどかけてビュッフェ・ランチを頂きました。私達のバスの参加者はバス9台の中の第1番目のバスで、この1番バスは船の中でも「すばしっこい」人達の集まりで、他のバスより全て前倒しでスケジュールをこなしていました。乗客は私達の他はカナダ2人、スペイン1人で残りの30人は米国人であり、乗客から何と米国大使館を見に行きたいという要望が高まり、ベツレヘムへ行く途中で大使館を車上見学しました。確かエルサレムをイスラエルの首都と認めて大使館を置いているのは米国だけということから、これは珍しい経験となりました。ガイドのミッキーさん達イスラエルの人達が米国に感謝していることが良く分かりました(移動に1時間20分)。 【メンジャー広場と聖誕教会】ベツレヘムはパレスチナ人地区にあり塀に囲まれています。チェックポイントを超えて駐車場ビルに入りました。そこから100mほど歩いて土産物屋の集まるメンジャー広場に到着しました。大きな石積みの聖誕教会に比べてその入口はとても小さく人が並んでいましたので、私達は大きな出入り口から入場しました。細い階段を下りて地下の聖誕場所に着きました。地上階の教会の床と壁面にはイスラエルで最古のモザイク画が色鮮やかに残っていました。ここも六大宗派が共通管理しているとの事です。教会を出たのは4時、夕暮れ時、小雨が降り始めました。雨が本降りになる前に全てのガイドツアーを終える事ができPerfect timing!!でした。(ベツレヘムには1時間弱滞在)。 【思いがけない出会い】ガイドのミッキーさんの説明は丁寧で分かりやすかったです。どうかフェイク・ニュースに惑わされないで「パレスチナとイスラエルは幸せに共存して生活している」ことを理解してほしいという発言がありました。ユダヤ人はリベラルが70%、オーソドックスが20%弱、ウルトラ・オーソドックスが12-15%と思想的に分類されるそうで、夫婦の平均的な子供の数がリベラルでは3人、オーソドックスでは5人、ウルトラ・オーソドックスでは10人と、その特徴が顕著に表れているとの事でした。 【今後の展開】魅力的な旧市街のヴィア・ドロローサを歩いてみて、次はじっくりと個人ツアーをしてみたいと思いました。このイクスカーションではパンフレットの説明ではあった岩のドームを訪れませんでした。また車上見学することになっていたヘブライ大学、イスラエル博物館、死海写本館、クネセット(国会議事堂)、最高裁判所を見ることはできませんでした。
寄港地での過ごし方


















